倉敷チボリ公園

2010年3月13日現在のチボリ公園跡地の様子です。遊具や劇場、売店などの設備はほとんど撤去されて地面が顔を出していました。建物が無いと狭く見えます。向こう側には、少しだけ屋根付きの建物が残されています。公園になる部分でしょうか。

2011年の冬にはアウトレットモールができる予定ですが、イオンもあるし、倉敷駅南にある商店街との共存も考えなくてはなりません。駅の北側だけ発展し、倉敷美観地区などが寂しくなったのでは倉敷全体の発展にはなりませんから。

新しい倉敷市の発展の起爆剤となるアウトレットモール作りが必要です。

アリオ倉敷、オープンは11月25日9時

イトーヨーカ堂は9月27日、倉敷チボリ公園(倉敷市寿町)跡地に建設を進めていた大型ショッピングセンター「アリオ倉敷」が11月25日9時にグランドオープンすると発表しました。

主な店舗は、クリスピークリームドーナツ、ドミニック・ジュラン、レオニダス、コールドストーン、橘香堂、てんまやショップ、トーマスタウンmini、ジャンプショップ、ジョーシン、アカチャンホンポ、タワーレコード、セブン-イレブンとなっています。

施設には、太陽光発電、雨水・井戸水利用、外気熱の利用、外気冷房、LED照明、省エネ照明、電気自動車充電スタンド(3台分)、既存樹木の利用など積極的な環境への取り組みをしているようです。

倉敷チボリ公園跡地の大型SCは「アリオ倉敷」に決定 2011.7.27

イトーヨーカド堂などが、2011.11.11日に開業予定の大型商業施設の正式名称が「アリオ倉敷」に決まり、天満屋がテナントとして出店することも分かりました。

「アリオ」は、イトーヨーカド堂が全国展開しており、中四国では初めてで、全国では12箇所目になります。「アリオ倉敷」は、鉄骨2階、店舗面積約1万6500平方メートルで、1階にイトーヨーカドー食品館倉敷店や衣料や雑貨の専門店約100店で構成されます。

2階には天満屋が約330平方メートルの売り場を設け、岡山県内のメーカーの菓子や加工品、工芸品を扱って地場産品を紹介します。その他、「アカチャンホンポ」「タワーレコード」「セブンイレブン」などが出店します。

また、施設内には、三井不動産が運営する「三井アウトレットパーク倉敷」が、鉄骨2階、店舗面積約2万1500平方メートルで営業します。衣類、スポーツ・アウトドア用品、アクセサリーなど約110店舗が入る計画です。

全体で年間800万人の集客を見込んでいます。

近くにあるSCイオンモール倉敷では、開業以来の大規模増床を行い、10月28日に全館リニューアルオープンします。

「倉敷みらい公園」と命名、チボリ跡、倉敷市民憩いの場

2011年2月22日、倉敷市は倉敷チボリ公園跡地に整備する市民公園の概要を発表しました。5月下旬に着工し、同跡地に進出する複合型商業施設が開業する11月中の供用開始を目指します。総事業費は15億3000万円です。

公園の名称や利用方法は、倉敷市が昨秋公募し、市民218人から寄せられた700件超の意見を参考に決めました。

伊東香織市長は「倉敷駅前の新しい顔であり、倉敷の明るい未来の象徴として、市民に愛される公園になって欲しい」と期待しています。

広場部分
1ヘクタールのうち0.6ヘクタールを芝生とし、地下水を利用した水遊び場を設置します。既存のクスノキ、ケヤキに加え、新たに約50本の樹木を植えます。
広場北側
ウッドデッキによるステージ(高さ45cm)を設けて市民に貸出します。
災害時
災害時には避難場所となるため、簡易トイレを組み立てる際に必要となる下水管や、炊き出し用のかまどとして利用できるベンチなども備えます。

倉敷市、緑道整備に着工、2010.11.10

2010年11月10日、倉敷市は倉敷チボリ公園跡地(倉敷市寿町、約12ha)を南北に貫く倉敷用水沿い約300mの緑道整備に着工しました。

倉敷チボリ公園跡地の再整備に向けた第一弾で、ウッドデッキ、ベンチ、照明灯などを設けます。事業費は2億1000万円です。

今後整備される市民公園・約1haの完成や、跡地に進出予定の複合型商業施設の開業に合わせて、2011年冬の共用開始を目指しています。

倉敷チボリ公園跡地の再開発、イトーヨーカ堂主体で

2008年末に閉鎖された倉敷チボリ公園の跡地の再開発について、土地所有者のクラボウは、2009年8月27日に事業主体をイトーヨーカ堂に決定したと発表しました。

倉敷・中国四国地方の観光振興も意識した再開発で、アウトレットモールを併設した複合型商業施設として、2011年冬の開業を目指すようです。

イトーヨーカ堂が自社のノウハウを生かし、「美観地区との相乗効果で観光集客力を高める」「水と緑の豊かさを生かした都市アメニティー拠点としての機能を持たせる」としています。

跡地は現在、県所有の施設の解体作業中で、来年2月までに更地にしてクラボウへ返還することになっています。今後は、クラボウ、イトーヨーカ堂、倉敷市が協議しながら具体的な開発プランを策定するそうです。

伊東倉敷市長は、「地域への貢献に配慮する開発業者を選定してもらい、ありがたい。倉敷駅前の顔にふさわしい拠点として、にぎわいをもたらし、人が集まる場になってほしい」と話しています。

また、倉敷市が跡地にある倉敷用水(幅4m、長さ約300m)とその周辺を公園としていかそうと、クラボウに求めていた用地1haの市への売却も決まり、今後の価格の算定・予算化をすすめたいと述べています。

2009.8.29 読売新聞から

倉敷チボリ公園の施設はどうなる

4月24日、倉敷市が岡山県に倉敷チボリ公園の跡地利用について、屋外ステージなどの岡山県有施設の譲渡を申し入れたそうです。

ミュージック・パビリオンやレストハウスは岡山県から倉敷市へ無償で譲られることになるようです。が、昨年12月に存続を要請したアンデルセンホールとカルケバレン劇場は含まれず、県やクラボウが存続を拒否しているため、両施設の取り壊しは決定的になったそうです。2009.4.25

OHK「おとぎの国の迷い道『倉敷チボリ公園・破綻の構図』」を見て

倉敷チボリ公園の流れ

倉敷チボリ公園は、1997年7月12haの土地(クラボウからの借地)へ474億円の総事業費をかけて作られました。そのうち343億円が税金の投入によるものです。

ヨーロッパ風の庭園と多目的ホールとアトラクションを売り物にして小さな子ども連れからお年寄りまでが憩える公園としてスタートを切りました。

開園から1年2年3年までは来客も多く好調でしたが、4年目から目標来客者数を割り出しました。それからは、たいした対策も講じられず、年間5億~10億の赤字を出し続けることとなったようです。

開園から11年で赤字閉鎖となってしまったことは、本当に残念なことです。その頃は、全国にテーマパークが開園されブームとなっていました。最初は岡山市でのチボリ公園開園が考えられていました。が、もうそろそろテーマパークは斜陽の雰囲気でしたし、うまくいくことはなかなかに難しいという考えが、安宅岡山市長や岡山市民にありました。そこで、チボリ公園は岡山市では開園しないと決定しました。では、なぜ倉敷市で開催ということになったのでしょうか?

倉敷チボリ公園が破綻した理由

倉敷チボリ公園が破綻した理由は、今までは県民にははっきりとわかりにくいものでした。この度OHK「おとぎの国の迷い道『倉敷チボリ公園・破綻の構図』のテレビ番組を見て大分理解できるようになりました。

たくさんの税金を投入し破綻したのですから、県民にわかりやすく説明して欲しいものです。岡山県の代わりにOHKさんが、とても良い番組を作ってくださったことに感謝します。

倉敷チボリ公園が破綻した理由
*1991年岡山市がチボリ計画を断念した1ヶ月後長野士郎岡山県知事は、チボリ計画を復活させました。それは、すでにチボリ公園のデザイン料の20億円を支払っていたからです。長野知事は「ここまで来て打ち切るのは、国際的にも不義理をかき岡山県のイメージダウンになる」としてチボリ計画を続行しました。
*入場者予想が甘かった。毎年200万人の入場者があるとみていた。収支計画のもろさ、経営感覚が欠けていたと後で批判されています。
*テーマパークでは、開園後アトラクションなどにあきられるので、追加投資は絶対に必要なものでした。しかし、岡山県にはスタート地点から追加投資の検討はしてもいなかった。利益が出れば追加投資しようではダメで、利益を生むために追加投資をして客を呼ぶという構図が必要だったようです。
*クラボウの借地へ建てたことで、銀行からの借り入れをする際の担保能力がなかった。元々474億円ものお金をかけてする事業を、借地でするということがおかしいと思いました。自分がする事業だったら、もっともっと真剣に慎重にするのではないでしょうか。

2009年3月21日土曜日、OHK16:00~17:00「おとぎの国の迷い道『倉敷チボリ公園・破綻の構図』」を見て、破綻の理由が見えてきて、少しすっきりしました。 県民へのわかりやすい説明は、報道機関の大切な役目だと思います。他の報道機関のチボリの検証をたまたま見ていないのかもしれませんが、OHKのこの番組は貴重な番組でした。まだまだ見ていない人も多いと思いますので、再放送、再々放送を願っています。2009.3.26

倉敷市長と石井知事との非公開会談で、岡山県は
チボリ施設の存続・支援を正式拒否

2009年3月17日に、非公開で倉敷市伊藤香織市長と石井知事との会談がおこなわれました。

倉敷市伊藤香織市長は、2008年末で閉園した倉敷チボリ公園の跡地を市民公園として利用する際の財政的支援と園内にある県有施設の存続を求めていました。

会談終了後岡山県知事は、「倉敷市が自主的に取り組んでいる事業で、自ら財政を整備するのが原則」「倉敷チボリ公園事業が終了して、単独で県の施設として存続する意義はない」と、県有施設の存続についての返答をしました。

 倉敷市伊藤香織市長は、「住民の気持ちを考えると大変残念なこと。両施設とも県の施設で、県の判断に任せるしかない」

チボリ公園跡地を含めたJR倉敷駅北側のまちづくりについては、計画が具体化する中で、岡山県が必要な支援をすることを約束したという。2009.3.18 読売新聞より

倉敷チボリ公園、今後の行方は?

倉敷チボリ公園の今後の行方についての話し合い、チボリ・ジャパン社の取締役会が2008年12月16日行われた。岡山市内で非公開で行われ、園内の施設解体、撤去の日程が報告、了承された。

取締役会後のチボリ・ジャパン社の坂口正行社長の記者会見

*遊具18点を東京の企業に売却することで合意、来年1月後半から5月に解体

*チボリ・ジャパン社所有の物販施設は来年1月後半から6月頃までに撤去

*1月には清算法人に移行、9月後半までに清算を終了する

社員約100人、パート約300人について、15日時点で再就職が決まっているのは社員32人、パート15人にとどまるとし、坂口社長は「精一杯支援したい」と述べた。

倉敷伊東市長の説明

*岡山県に、跡地利用をめざす倉敷市への財政的支援と、アンデルセンホール、カルケバレン劇場の2施設の存続を要望。「残せるものは残したいが、県の支援なしでは難しい」

石井県知事は来年2月ごろまでに最終的な回答を行うという。知事は「存続は難しい」と難色を示してはいる。

*18日には、土地を所有する大阪市のクラボウ本社を訪問し、倉敷市の計画案について説明する。

チボリ・ジャパン社・坂口社長(社長就任から2年半)が記者会見

*倉敷の品格を保つ公園。残せないか挑戦し続けたが、県の地代負担打ち切りは全くの予想外だった。と、悔しさをにじませた。

*この間の石井知事の発言について、「チボリの名称が使えないから公的支援できない」などの理由をつけるのは、私や社員、株主の思いとは違った、と批判した。2008.12.17 読売新聞から

倉敷チボリ公園事業検証委員会の報告内容固まる

倉敷チボリ公園事業検証委員会(3人)は、倉敷チボリ公園の閉鎖決定までの経緯の検証内容をほぼ決めたようです。15日に最終会議が行われ、24日に石井岡山県知事に提出される予定。

会議後に、委員長の岡山大学院教授、中山良平氏は、行き詰まりの原因は、「公共性と収益性のはざまに立ち、答えがないところに答えを求めていた」「ねじれの構造が非常に顕著に出た事例」と改めて指摘された。

 県に対しては「これまでの経緯を踏まえ、責任を持った方がよい」と述べられた。

その上で、今後、信頼度が高く資金調達力がある県と、アイデアのある民間団体が協力する際の教訓として、*十分な情報公開をし、県民の合意を得て公共性の有無を判断すること。*個々の県民に経済的な波及効果があるかどうかを客観的に見ること・・・が必要とした。2008.12.16 読売新聞の記事から

倉敷チボリ公園、2008年12月末で閉園

2008年8月6日、第3セクターのチボリ・ジャパン社は、取締役会で2008年12月末で閉園し、会社を解散する方針を決めた。

 約143億円の累積赤字を抱え、最大株主の岡山県が来年以降の支援を打ち切るなどで開園11年で運営の見通しがたたなくなったため。

26日の臨時株主総会で最終決定される見通しらしい。

デンマークのチボリ・インターナショナルと提携契約し、倉敷駅北側の12ヘクタールに約470億円をかけて、遊具やデンマークの街並みを模した店舗などを整備し、1997年7月にオープンした。

初年度、1997年に298万人が入園したが、4年目から200万人を割り込み、2007年度は過去最低の75万人にまで減少。2007年にはチボリ・インターナショナル社との提携契約の更新を巡り、チボリ・インターナショナル社の新規投資の要求を断って交渉が決裂し、来年以降「チボリ」の名称が使えなくなることが決まっていた。2008.8.7 読売新聞から

土地(チボリ公園l)返還後の活用焦点

市民から「公園機能を残して」とちいう声もあるなか、今後は土地をクラボウ(大阪市)に返還した後、どのように活用されるかが焦点になる。

26日の臨時株主総会で正式決定すれば、石井知事がクラボウに土地返還を申し出、2009年1月から清算手続きに移る。公園は12月31日まで営業し、既存施設の扱いは「クラボウとの話し合いによる」とした。従業員400人に対し、再就職を支援する。

伊藤香織倉敷市長「倉敷駅前の地域をしっかりつくる観点からクラボウと話がしたい」

 クラボウ「跡地開発については圏や市の考えも踏まえ、具体的な検討をしていきたい」2008.8.7 読売新聞から

伊藤倉敷市長「倉敷市単独で支援困難」

2008.6.23日、伊藤倉敷市長は記者会見し、「岡山県が支援しないなかで、倉敷市だけか゜支援することはできない」との考えを明らかにした。 倉敷市長のこの表明により、坂口社長の「公園部分を一部残し、それ以外の土地に民間開発を導入するという新案の実現は難しくなった。」

「これまで岡山県が主導してきた経緯からいって、県の支援が前提となる。県が土地の転貸を拒否している以上、倉敷市単独での支援は難しい」と説明した。

倉敷市議会各会派による代表者会議では、「もう少し様子をみてはどうか」とする意見も出された。しかし、「早く会社を清算して、次のステップに行くべきだ」との意見が大勢を占め、伊藤市長の考えが支持されたという。

TJ社は、この問題で8月上旬に取締役会を開くことにしている。平井市会議長は「8月に入り市議会全員協議会を開き、今後の展開について、石井知事や坂口社長から最終的な意見をうかがいたい」とした。2008.6.24日 読売新聞から

6月20日、チボリ・ジャパン社取締役会

2008.6.22の読売新聞の記事では、チボリ・ジャパン社取締役会で、土地返還を前提に公園(12ヘクタール)を1/3だけ残し、残りを民間で開発する方向で、土地所有者のクラボウ(大阪市)へ働きかけるという具体的な案が浮上したという。

坂口TJ社長が提示した新案は、岡山県の撤退が前提となるだけに、市長選後、財政支援などについて具体的な態度を示していない倉敷市の対応に注目が集まる。

副会長で天満屋会長の伊原木一衛氏が唱えていたTJ社の完全民営化案は、石井知事が土地の転貸を認めなかったために消滅した。

会社清算のの動議は、取締役11人中、石井知事ら4人が賛成、坂口社長ら5人が反対。伊藤香織・倉敷市長と平井弘明・市会議長が棄権したため、いずれも過半数に届かず採決は成立しなかった。

今後は、公園部分を4ヘクタールに縮小し、残る8ヘクタールに東京の不動産会社がアウトレットモールを建設するという案の可能性を模索する。提案した坂口社長は、採算性はアウトレットモールで確保できるとみている。

しかし、クラボウは土地の返還に条件をつけないように求めているといい、協議の行方は不透明らしい。

今は、アウトレットモールばやりである。が、作れば成功するという時代は終わった。「倉敷チボリ公園」がまさにいい例ではないか。あっという間に全国に遊園地ができて、あっという間に飽きられて閉鎖に追い込まれて行った。

過去の教訓を生かして、時代をよく読んで、今後のあり方を考えて欲しい。

「倉敷チボリ公園」後の運営主体はどこがする?

2007.9.5日、石井岡山県知事は、古市健三倉敷市長に、2008年末で「チボリ」の名称が使えなくなる 倉敷チボリ公園楽天 について、県主体による運営の継続を断念し、倉敷市主体の運営に移行してもらうよう申し入れた。

石井知事は「チボリというブランドがなくなれば、県を代表する広域観光拠点としての機能が変化し、県全体で取り組む目的が失われる」と説明した。「倉敷市にとっては、倉敷市の中心にあって、倉敷駅周辺のまちづくりの観点からも必要な施設」と、申し入れの理由を述べた。また、「市の方向に応じて必要な協力をする。県が手をひくことはない」と述べた。

倉敷市長は、県に協力するが、新たな財政負担は受け入れられないとの姿勢を示してきたが、これまでと基本的なスタンスは変わらない。議会や市民の意見を聞き検討すると、述べている。9月の市議会終了後、早い時期に方針を示すという。2007.9.6日 読売新聞

倉敷チボリ公園の現状

平成9年(1997年)7月にオープンした、倉敷チボリ公園は、デンマークの歴史的町並み、美しい庭園、遊具、アトラクションが特徴です。が、最盛期には年間300万人の来場者がありましたが、昨年では81万人に減っています。全国にある遊園地、テーマパークでも来場者が減り経営に四苦八苦している所が多い現状です。

倉敷チボリ公園では、累積赤字が137億円に膨らんでいます。デンマーク側が赤字解消のため、さらに多額の出資金を求めてきたので、チボリ側は2007年7月18日にデンマークチボリ社と契約を解消することになりました。そこで、来年12月からは、チボリの名称が使えなくなります

「倉敷チボリ公園」の名前がなくなることは寂しいですが、多額の岡山県税が使われ破綻しては元も子もありません。大きな箱物を作ったつけが、今まさにやってきましたと言う感じです。最初、岡山市北長瀬地区にチボリ公園を作る予定でしたが、岡山市民の反対にあい倉敷市に作られました。岡山市民はやれやれという思いでしたが、岡山県民という立場でつけの片棒を担がされているわけです。岡山県民としては、倉敷チボリ公園が県民に親しまれ、県民を癒してくれる公園であれば満足です。

名前が変わることにより、岡山県民が皆で盛り上げる公園として再生できたらいいなと思います。 2007.7

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更新日:2020/03/15