原発事故(チェルノブイリ、スリーマイル島)

世界の原発事故では、チェルノブイリ(現ウクライナ)原発事故、アメリカスリーマイル原発事故が有名です。

この度日本でも、東日本巨大地震(東北関東大震災)のマグニチュード9.0という想像を超えた地震による揺れと、後に続いた巨大津波による影響で福島第一原子力発電所の事故が起こりました。

6機の原子炉は、地震による揺れで止まりましたが、その後の「冷やす」作業が1〜4機でなかなか困難になっています。

日々、放射能の汚染の危機にさらされながらの作業を、たくさんの方達が日本のためにと不眠不休に近い状態で頑張ってくださっています。何しろ前例のない大変な作業の連続です、お体に気をつけてください。

私たちには、「どうぞ一日も早く終息に向かいますように」と、祈ることしかできません。周辺の土地、町の放射能も心配ですが、今は原発の終息を願うのみです。

チェルノブイリ原発事故

1986年4月26日、ソビエト連邦(現ウクライナ)チェルノブイリ原子力発電所の4号炉で炉心溶融(メルトダウン)の後に爆発し、放射性物質がウクライナ、白ロシア(ベラルーシ)、ロシアなどを汚染しました。

国際原子力事象評価尺度(INES)で、レベル7の事故(最高レベル)とされています。

その規模は、広島の原子爆弾の約500発分に相当する量と言われます。

事故後のソ連政府の対応が遅れ、被害が拡大し史上最悪の原子力事故と言われています。

事故当時、爆発した4号炉は操業休止中で、原子炉が止まった場合を想定した実験を行っていました。この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされています。

ソビエト政府は、最初この事故のことを秘密にしていました。4月27日に、チェルノブイリ原発から約1,100kmにあるスウェーデンのフォルスマルク原発の労働者の衣服に放射性の粒子が付着していることからチェルノブイリ原発事故が判明しました。チェルノブイリ原発事故と判明する前には、どこかで核戦争が起きたと疑われたそうです。

2011年1月からは、一般客を広く対象にしたツアーも始まったようです。

チェルノブイリ原発事故への対策

  1. 炉心内へ鉛の大量投入(鉛は減速材として使った)
  2. 液体窒素を投入して周囲から冷却、炉心温度を低下させた

この策が効を奏したのか一時制御不能に陥っていた炉心内の核燃料の活動が落ち着き、5月6日までに大規模な放射性物質の漏出は終わったとの見解をソ連政府は発表しているようです。

この爆発により一瞬のうちに原子炉が破壊され、火災が発生しました。火災を消火するために、ヘリコプターから原子炉の炉心めがけて総計5000トンにおよぶ砂や鉛などが投下されました。火災は爆発から14日後の5月10日にようやく収まりました。

爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員されました。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せっかん)と呼ばれています。

事故による高濃度の放射性物質楽天 で汚染されたチェルノブイリ周辺は、約16万人が移住を余儀なくされました。避難は爆発翌日の4月27日から5月6日にかけて行われ、事故発生から1ヶ月後までに原発から30km以内に居住する約11万6千人全てが移住したとソ連によって発表されている。しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人などの一部の住民は、移住せずに生活を続けたそうです。

死亡者

事故当日に即死した人は、3000人とも言われます。国連の試算では、事故に起因する死者数は将来分を含め約4000人と言います。

長期的な観点から見た場合の死者数は数百人とも数十万人とも言われますが、事故の放射線被曝とがんや白血病との因果関係を直接的に証明する手段はなく、科学的根拠のある数字としては議論の余地があるそうです。

事故後、この地で小児甲状腺癌などの放射線由来と考えられる病気が急増しているという調査結果があります。

2000年4月26日の14周年追悼式典での発表では、ロシアの事故処理従事者86万人中、5万5000人が既に死亡したそうです。ウクライナ国内(人口5000万人)の国内被曝者総数342.7万人のうち、作業員は86.9%が病気に罹っているようです。

放射能の影響

事故の直後の健康への影響は、主に半減期8日の放射性ヨウ素によるものでした。

今日では、半減期が約30年のストロンチウム-90と、セシウム-137による土壌汚染が問題になっています。

最も高いレベルのセシウム-137は土壌の表層にあり、それが植物、昆虫、きのこに吸収され、現地の食糧生産に入り込みます。最近の試験(1997年頃)によると、この区域内の木の中のセシウム-137のレベルは上がりつづけているそうです。

汚染が地下の帯水層や、湖や池のような閉じた水系に移行しているといいます(2001年)。雨や地下水による流去は無視できるほど小さいことが実証されているので、消滅の主な原因は、セシウム-137がバリウム-137へ自然崩壊することだと予想されています。

労働者の被曝線量

ソ連の推定によると、30万から60万人が炉から30kmの退避区域のクリーンアップに従事しました。その多くは事故から2年後にその区域に入りました。

事故から最初の1年で、この区域のクリーンアップ労働者は21万1,000人と推定されるそうです。これら労働者は推定平均線量165ミリシーベルトを受けたとされています。

発電所から2kmのプリピャチ市に住んでいたニーナ・パブレンコさん・59歳は、事故後現場の片付けに動員され、防護服も支給されず5年間働き被曝しました。心臓などの健康障害で倒れました。今は被災者年金も満額もらえず、避難先のキエフのアパートに家族7人で暮らしています。「国を救うためと言われ作業に加わったが、倒れたら用なし。悔しい」と涙を流していたそうです。読売新聞から。

甲状腺がんなど

IAEAの報告によると、「事故発生時に0歳から14歳だった子供で、1,800件の記録された甲状腺癌があったが、これは通常よりもはるかに多い」と記されています。

発生した小児甲状腺癌は大型で活動的なタイプで、早期に発見されていたら処置することができたそうです。

処置は外科手術と、転移に対するヨウ素131治療が必要です。

これまでのところ白血病の識別できる増加は無いが、過去の被曝者の健康調査の結果、白血病は被曝から発病まで平均12年、固形ガンについては平均20〜25年以上かかることが分かっているようです。このことから、白血病や固形ガンが通常に比べてどれだけ増加するのかは継続的な調査によって判明すると予想されています。

自然界への影響

大量の放射性降下物により枯死したマツの「赤い森」が10km区域内のサイトのすぐ背後の地帯に広がっているそうです。この森は、事故後、大量の放射性降下物により枯死して赤茶色に見える木々のために名づけられました。

事故後のクリーンアップ作業の中で、4平方キロメートルの森の大部分が埋め立てられたまし。赤い森のある場所は、世界で最も汚染された地域の一つです。この地域の動植物に放射性降下物が長期的な悪影響をもたらしたかどうかはいまだ分かっていません。

ウクライナは、肥沃な黒土層に恵まれています。が、500万ヘクタールが耕作できません。最近でも原発から300km離れた地点で牛乳から高濃度の放射能が検出されたそうです。

現在、秋まきのアブラナを原発から西70kmの村に植えています。収穫した菜種からバイオ燃料を作ります。根は地中の放射性セシウムやストロンチウムを吸収するために、土壌浄化の効果も見込めるそうです。

植物の放射能吸収を妨げる肥料、家畜の汚染を防ぐ薬物も実用化されたそうです。ウクライナ農業省のアレクサンドル・ジュトフ放射能検査部長は、「放射能汚染との戦いは長く続く。私たちが得た経験を福島の人たちと分かち合い、ともに闘っていきたい」と話してくれています。

事故後も原発の運転

ウクライナ政府は、国内のエネルギー不足のため残った三つの原子炉(1〜3号炉)を運転させ続けました。

1991年に2号炉で火災が発生、政府当局は炉が修復不能なレベルまで損傷していると宣言し電源系統から切り離しました。1号炉は、ウクライナ政府とIAEAのような国際機関との間の取り引きの一部として1996年11月に退役しました。

2000年11月には、レオニード・クチマウクライナ大統領本人が公式式典で3号炉のスイッチを切り、こうして全プラントが運転停止しました。

チェルノブイリ今後の問題

4号炉は事故直後、大量の作業員を投入し、石棺と呼ばれるコンクリートの建造物で覆われました。石棺の耐用年数は30年とされており、老朽化への対策が必要となっています。

石棺の建設は応急処置であり、大半は産業用ロボットを用いて遠隔操作で建設されたために老朽化が著しく、万が一崩壊した場合には放射性同位体の飛沫が飛散するリスクがあります。

シェルター構築計画(SIP)は、現在4号炉を覆っている石棺の上に、新安全閉じ込め設備(NSC)と呼ばれる、石棺を覆うようにして滑らせる可動式のアーチを建設します。それを使用して石棺内にあるとされる放射性物質や汚染された瓦礫などを排除し、4号炉の中にある放射能をゼロにするという計画だそうです。

このシェルターは、放射能や水の汚染などの問題解決が期待されますが、建設に莫大な費用15億ユーロ(約1700億円)や労力がかかるという問題があります。9億ユーロは余りは、国際社会の支援で確保されましたが、残り6億ユーロを調達するメドが立っていないそうです。

今でも、30km以内の立ち入りは制限されています。

スリーマイル島原発事故

1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した原子力事故です。

スリーマイル島(Three Mile Island)の頭文字をとってTMI事故とも略称されます。原子炉冷却材喪失事故に分類され、想定された事故の規模を上回る過酷な事故となっています。

国際原子力事象評価尺度(INES)で、レベル5の事故とされています。死者は出ていないそうです。

事故の様子

スリーマイル島原子力発電所はペンシルベニア州の州都ハリスバーグ郊外のサスケハナ川のスリーマイル島と呼ばれる、周囲約3マイルの中州にあります。

スリーマイル島原発事故の原因は次の通りです。タービンを回し終わった蒸気を水に戻す復水器の配管が目詰まりを起こし、主冷却水の給水ポンプが自動的に止まりました。同時に、設計した通りに原子炉が緊急停止しました。その後は炉心部をいかに冷やすかの問題で、今回の福島原発事故と同じ状況でした。

炉心溶融(メルトダウン)で、燃料の45%、62トンが原子炉圧力容器の底に溜まりました。給水回復の急激な冷却によって、炉心溶解が予想より大きかったとされています。

圧力を下げるために「圧力逃がし弁」が自動的に開き、ここから放射性物質が外部に漏れ出しました。運転員による給水回復措置が功を奏し、事態が終息したのは事故発生から2時間18分後だったようです。

周辺住民の被曝は0.01-1mシーベルト程度であり、住民や環境への影響はほとんど無かったようです。しかし、「原発の事故」を知った人たちは、パニックになったそうです。

「原子炉が爆発するのか。大都会の集中したアメリカ東部が崩壊するのか」というニュースが続き、母親が赤ちゃんを抱いて続々と避難を始めました。事故3日後には「8キロ以内の学校閉鎖、妊婦・学齢前の幼児の避難勧告、16キロ以内の住民の屋内待機勧告」などが出され、周辺の自動車道路では避難する車による大パニックが発生したそうです。

ウィキペディア、読売新聞等を参照しています。

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更新日:2016/08/31