世界遺産・ボロブドゥール

インドネシアのジャワ島にある世界遺産ボロブドゥールは、ボロブドゥール寺院遺跡群の一部です。石造で高さが約33mもあります。

1000年も埋まっていた遺跡が1800年代に掘り起こされ、美しいレリーフが我々の目を楽しませてくれています。ボロブドゥールは、今でもインドネシアの人々の大切な祈りの場となっています。

ボロブドゥール遺跡とは

ボロブドゥール遺跡(Borobudur)は、インドネシアのジャワ島中部のケドゥ盆地にある大規模な石造による仏教遺跡です。

ボロブドゥール遺跡は、中部ジャワの中心都市ジョグジャカルタの北西約42km、首都ジャカルタからは東南東約400kmの所にあり、ムラピ火山(標高2968m)などの山々に囲まれた平原の中央にあります。

遺跡総面積はおよそ1.5万m2で、高さはもともと42mありましたが、今は33.5mとなっています。世界最大級の仏教寺院であり、「ボロブドゥール寺院遺跡群」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されています。

インドから東南アジアに伝わった仏教は、部派仏教(上座部仏教)と呼ばれる仏教でしたが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡だそうです。2010年には、ムラピ山の灰で被害を受けました。

大乗仏教とは
大乗仏教(だいじょうぶっきょう)は、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派の一つだそうです。自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心を起こすことを条件とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標としているそうです。
部派仏教
部派仏教(ぶはぶっきょう)またはアビダルマ仏教とは、インドを中心に釈迦の死後百年から数百年の間に分裂・成立した20の部派の総称だそうです。分裂以前の仏教を「初期仏教」または「原始仏教」というようです。

発掘者は、ラッフルズ(イギリス人)

イギリス人のトーマス・ラッフルズは、常々東洋へ赴任したいと思っていたそうです。

10歳年上のオリビアという女性と結婚後に、チャンスが訪れました。1811年にのジャワ副総督になりました。そして、ジョグジャカルタで、新婚生活を始めました。

ラッフルズは、1814年に港町で「ジャングルの奥に巨大な建造物がある」という噂さを聞きました。そこで、ラッフルズは、その巨大な建造物に興味を示し、ぜひとも探し出したいと探索を始めました。1814年、ラッフルズとオランダ人技師コルネリウスによって、ボロブドゥールは森のなかで再発見され、その一部が発掘されました。

こんもりと膨らんだ山を見つけ、周りの木を切り倒したり、土をよけたりと2ヶ月が過ぎた頃、ボロブドゥールは姿を現しました。その頃、ラッフルズの最愛の妻は熱病に倒れ、43歳で亡くなりました。

なぜ、1000年も忘れられていたか

ボロブドゥールから東に25kmの距離にあるムラピ山(メラピ山)は、2010年にも噴火し、その火砕流にポンペイの再来と言われるほどでした。2010年10月26日、ムラピ山が噴火して火砕流が村を直撃し、29人が死亡しました。

この一連の噴火で、ボロブドゥールに灰が3cm降ったために重要部分はビニールシートで覆われました。また、後には火山灰による腐食の防止のためにボロブドール遺跡の掃除が行われました。2010年11月23日時点では、死者322人、避難者13万人だったようです。

過去の500年間には、ムラピ山は68回も噴火しています。11世紀にも大噴火を起こし、ボロブドゥールは降灰に埋もれ忘れ去られたと思われるそうです。

1816年、ラッフルズはイギリスへ帰国しましたが、44歳の時に脳腫瘍で亡くなったそうです。ラッフルズもその妻も短命でしたが、ボロブドゥールを発見する運命だったのでしょうか?

ボロブドゥールはなぜピラミッド型なのか

ボロブドゥールは、ピラミッド型をしています。200万個の石で作られているそうです。その石には、たくさんのレリーフが刻まれています。

高度な建築技術がかいま見られます。

周囲には4層の回廊があります。その回廊を時計回りに回るとだんだんと上に登って行き、仏教のご利益があると言われます。

レリーフは、釈迦の人生や仏教の話を表現しています。レリーフは全部で1460面あり、全長は5kmにも及ぶそうです。だんだんと回りながら登っていくうちに、この世ではなく仏教の世界に入り込んだ感じになるそうです。

その上には、3層の円だんがあります。ストゥーパという先の尖った帽子状の物があり、中には仏像が収められています。このストゥーパは、仏像を暑さや火山灰から守る役割があるようです。大ストゥーパは直径が16mもあります。

頂上は、仏教の祈りの場であり、極楽にいけると考えられています。インドネシア人は、死者は山に帰ると言いますが、その流れのようです。

プグン・ラハルジョ遺跡も、3段の階段状になっていて、菩薩像が見つかっています。山岳信仰と仏教の融合と考えられています。

誰が何の目的で作ったか

19世紀末に、石で隠されていたボロブドゥールの基壇から、古代文字が偶然発見されました。文字と、異様な顔をした人物のレリーフが見つかりました。この古代文字は8〜9世紀に使われた文字でした。この時期には、シャイレンドラ王朝が支配していました。この王朝は短期間で崩壊していました。

また、カラサン寺院(ジョグジャカルタ近郊にある)で見つかった碑文には、謎の王朝シャイレンドラの名が刻まれていました。ボロブドゥールを建立したのはシャイレンドラですが、そのシャイレンドラは短期間に崩壊したため記録がほとんど残されていないそうです。

そしてジャワ島ではヒンドゥー教が信仰されており、仏教建築とされるボロブドゥールがそこにあるのは一見違和感があります。坂井隆教授は、仏教で栄えたスマトラ島のスリヴィジャヤがジャワを征服し、シャイレンドラはスリヴィジャヤと婚姻関係を結んで密接な間柄になっていたと言います。

「ジャワ島では、ヒンドゥー教を信奉する王朝と、大乗仏教を信奉する王朝とが、時代と地域を分けて併存していたため、プランバナンの遺跡では、ヒンドゥー教のロロ・ジョングラン寺院の周囲に、大乗仏教の寺院が配置されている。ヒンドゥー教と仏教は、同じ親(バラモン教)から生まれた多神教であるから、自然に共存できるのであろう」という見方もあります。

ボロブドゥールは、仏教的宇宙観を象徴する巨大な曼荼羅(まんだら)といわれ、一説には、須弥山(しゅみせん)を模したものとも考えられているようです。

曼荼羅とは
曼荼羅(まんだら)は仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したものです。「曼陀羅」と表記することもありますが、重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されているそうです。
古代インドに起源をもち、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝わったようです。21世紀でも、チベット、日本などでは盛んに制作されているそうです。
須弥山(しゅみせん)とは
古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山でだそうで、この世界軸としての聖山はバラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有されているようです。仏教の世界観では、須弥山をとりまいて七つの金の山と鉄囲山(てっちさん)があり、その間に八つの海があって、九山八海というようです。「須弥」とは漢字による音訳で、意訳は「妙高」となるようです。

富はどこから

ボロブドゥールのレリーフには、古代ジャワで使われていた船が刻まれていました。全長18m高さ18m重量20トンという大きな船でした。

シャイレンドラ王朝は、海上交易で栄えた王朝だったようです。金細工も多く見つかっており、豊かであったようです。海のシルクロードでつながっていた日本にも、文化が伝わっているそうです。

大阪府堺市の公園には一辺が60m高さ9mの土塔があり、瓦が積まれています。現代の人が見ると何のためにこんな物があるのか不思議に思うと思います。

奈良県高畑町の民家にも7段の頭塔があるそうです。一辺が32m高さ10mでボロブドゥールの1/4の大きさで、壁面には彫刻もあるようです。

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更新日:2016/09/02