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明の十三陵(みんのじゅうさんりょう)

明の十三陵とは、明の13人の皇帝の陵墓がある場所です。実際には16人の皇帝がいましたが、初代の皇帝である洪武帝は南京郊外へ葬られ、二代目の建文帝は行方不明に、七代目景泰帝は兄に帝位を追われてしまいました。それで、13人の皇帝だけの陵墓となりました。23人の皇后も埋葬されています。

2003年7月に明・清の皇室の陵墓として世界文化遺産に指定されました。


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明の十三陵は、王府井(ワンフーチン)から車で約80分、北の方角にあります。王府井(ワンフーチン)は、故宮博物院の東側にある繁華街です。

明の十三陵は、永楽帝が都を南京から北京へ遷す前の1409年から長陵を作り始め1413年に完成させました。遷都は1421年で、8年前にはできあがっていたことになります。その後歴代皇帝が、生前から自分の陵を用意しました。

1435年に石獣群、1540年に石碑坊、1584年には定陵が完成しました。現存するのは、一部のみということで、総面積は40kuとなっています。ここでも、 中国 のスケールの大きさにクラクラするのでありました。

定陵(ていりょう)を訪れる

明の十三陵の中で公開されているのは、長陵(永楽帝と皇后が眠る、十三陵の中で最古で最大)、定陵(万暦帝と2人の皇后が眠る)、神道(800mの参道を石像が護る)の3箇所です。

私たちは定陵を見学しました。定陵は唯一、地下宮殿が発掘されています。

向こうの霞んで見える山の上にも、建物が見えました。これでは、どこまで歩いて行くのかわかりません。

定陵(ていりょう)は、万暦帝の陵です。1956年に地下宮殿が発掘され、皇帝と二人の皇后の棺や副葬品が出てきました。

重門

この重門に着くまでにかなり歩いています。真ん中の大きな穴は、皇帝専属の門だったそうです。左側は貴族の門のようで、入場門として使われていました。

日本の団体ツアーもたくさん見かけましたが、韓国の団体ツアーも見かけました。鮮やかな服と大きな声の集団もいてすぐに分かりました。中国の家族連れもたくさん訪れていました。そう言えば、今日は日曜日でした。

槐(えんじゅ)の木

この木は槐(えんじゅ)という木だそうです。木の枝が竜の爪に似ていることから好まれ、皇帝の屋敷にはよく植えられているそうです。

中国では槐(えんじゅ)は尊貴の樹とされています。周の時代に朝庭に3株の槐を植え、これに面して大師・太伝・大保の三公が座したので、三公の位を槐位・槐門と言いい、大臣になることは任槐と言ったようです。高官の位に着いたり退官した時には、記念に槐(えんじゅ)を庭に植えられました。

稜恩殿跡

この石の基礎部分の上には、木造建築物があったそうですが、1960年代後半から1970年代前半に行われた毛沢東の文化大革命(実質的には、中国共産党内の権力闘争でしたが、民衆も巻き込んだ大静粛へと発展しました)により焼き払われたと言うことです。今でも黒い煤のような物が石に着いていました。

日本でも明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)ということがあり、貴重な遺跡がこわされました。千葉県の鋸山の五百羅漢の全ての仏像が壊されたそうです。明治政府が神道を国家統合の基幹にしようと意図したためと言われています。

一度壊された物を元に返すことは難しいです。ここも歴史を語る貴重な場所であると思いました。

地下宮殿

地下宮殿に入る前に検査があります。まるで、飛行機に乗るかのようでした。お酒やナイフの所持は認められません。

地下9階まで階段を下りて行きました。中は暗くて上手に写真が撮れませんでした。

地下宮殿は前殿、中殿、左配殿、右配殿、後殿の5つの殿堂で組み合わされています。総面積が1195uと言われます。そして、そこには一本の柱も梁もなく天井はすべて石をアーチ型に組んだものでした。

見所は皇帝・万暦帝の棺です。赤い漆塗りのようでした。少し小さい棺が皇后の棺、すぐ近くに副葬品の箱がありました。すべて赤色でした。

別の部屋には玉座がありました。これは、皇后が座る場所なので鳳凰の絵柄が掘られています。后が二人いたそうで、二つありました。皇帝の玉座には、漢白玉製で龍の彫り物があり、これよりも大きくて立派な作りでした。

発掘の苦労

発掘は、中を壊さないようにするために注意深く行われました。細長い石がたくさん積まれてできていますが、これを人が入れる大きさまで取り除くのは、たくさんの時間が必要でした。

また、当時の様々な工夫もありました。簡単な装置で少ない力で石の扉が開け閉めできるとかもありました。

1956年5月、考古学者らが定陵の試掘をはじめました。1年後にやっと分厚く強固な「金剛壁」(地下に埋没している壁の総称)の中に、墓室の「玄宮」に入るためのアーチ型の門を発見したそうです。

明楼

カメラマンの私が立っている場所で、この陵があることを示す石版?が見つかったそうです。そこから、発掘が始まりました。

この写真の右手には、小さなお店があり、みやげものなどを売っていました。

この明楼の上に登ると、各陵が見渡せるそうです。登ることができるのかできないのかはわかりません。

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この辺りのレンガには、作った人のはんこが押して焼いてありました。制作者に責任を持たせたようです。皇帝の陵を作るのですから、緊張感を持って取り組んでいたと思われます。

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更新日:2010/06/17