長崎平和公園

長崎の平和公園は、昭和24年に原爆の実相を訴え、世界平和と文化交流のための記念施設として作られました。

1945年(昭和20年)8月9日11時02分、アメリカ軍が原子爆弾を長崎市へ投下し、長崎楽天 市民24万人のうち約74000人が死亡しました。建物の約36%が全焼か全半壊しました。

長崎駅から北へ約2.5㎞に位置し、敷地は約19haもあります。有名な平和祈念像や平和の泉がある「願いのゾーン」や原爆落下中心碑や浦上天主堂遺壁のある「祈りのゾーン」長崎県営競技場などがある「スポーツのゾーン」陸上競技場などがある「広場のゾーン」長崎原爆資料館などがある「学びのゾーン」と5つのゾーンに分けられています。

平和記念像(長崎)

長崎を訪れたら、必ずといっていいほど平和祈念像の前で、記念写真を撮ります。この平和祈念像は、郷土出身の彫刻家・北村西望氏の作で、昭和30年(1955年)に完成しました。

像の高さ約9.7m、重さ約30トンの青銅製で、「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれています。平成11年度には大規模な修復工事を行なわれ、約10年後の今でもきれいなままでした。

平和の泉

平和の泉は、水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈り、昭和44年(1969年)に作られました。平和祈念式典の前日8月8日の夜には数多くのローソクを灯し、犠牲者を悼む市民の催しも行われるそうです。

ちょうど写真を撮ろうとカメラを泉に向けた所へ、綺麗な虹がかかりました。歓声を上げながら近くの人達とカメラのシャッターを切りました。「よく来てくれた」と言われたようで、嬉しかったです。自己満足も大事かな?

長崎原爆落下中心地

この碑の上空500メートルで炸裂した原爆は、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪いました。塔の前に置かれた原爆殉難者名奉安箱には爆死された方、被爆者でその後亡くなられた方々の氏名を納めているそうです。

この落下中心地の辺りの地層には、破壊された家の瓦やレンガ、焼けた土や溶けたガラスなどが大量に埋没しており、被爆当時の悲惨な実相を示す資料として階段を下った所に保存されています。

また、この川には、当時水を求めて被爆した人達の屍がたくさん重なって浮かんでいたと言われます。

原爆という恐ろしい武器が二度と使われませんようにとお祈りしました。

浦上天主堂遺壁

浦上天主堂は、大正3年(1914年)に天主堂、大正14年にその双塔を完成させ、東洋一の壮大さを誇っていましたが、原爆によりわずかな堂壁を残し崩れ落ちてしまいました。

この遺壁は、聖堂の南側の一部を移築したものだそうです。

浦上天主堂の信徒開館2階には、原爆資料室があるようです。被爆により傷ついた聖母像、聖器、被爆で破壊された聖人像、小型アンジェラスの鐘などが展示されています。

キリスト教を信じる国が原爆を落としたことで、一瞬で浦上のキリスト教信者が9000人から2000人に減ったそうです。悲惨な状況を目の当たりにすると、今までの信仰が信じられない気持ちは分かりますね。

被爆50周年記念事業碑

この公園内には、被爆50周年記念事業碑があります。長崎市出身の富永直樹氏の制作で、21世紀にはばたく日本の未来を、偉大なる母の慈悲心と温かな母の胸で眠る傷心の子供の姿で表現しているようです。

残念なのは、この碑の名前がもっと親しみが持てる名前であったならと思いました。

「子を抱く母の像」とか、像をイメージしやすい名前をつけて欲しいなと思います。

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Author:Tomoko Ishikawa Valid HTML5 Valid CSS
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更新日:2016/02/15