森鴎外

森鴎外楽天 は、第一次世界大戦後、夏目漱石とならぶ文豪として名高いです。医学と文学の二足のわらじをはいて成功を収めた人として尊敬されています。代表的な文学作品は「舞姫」「雁」「ヰタ・セクスアリス」「阿部一族」「高瀬舟」などです。

森鴎外について

森鴎外は、1862年2月17日島根県津和野に生まれました。本名は森林太郎(もりりんたろう)です。生前に「津和野人、森林太郎として死にたい」と望んでおられた通りに墓碑銘は「森林太郎之墓」と刻まれています。

森家は、代々津和野藩の御典医をつとめる家柄でした。

森鴎外は、幼い頃から論語、孟子、オランダ語、四書五経を学んだそうです。

10歳で父と上京し東京で勉学に励みました。東京帝国大学医学部を卒業し、陸軍軍医となり4年間ドイツへ留学しました。帰国してから「舞姫」を発表しました。

森鴎外は、軍医であることに誇りを持っていたので、外出す時には軍服を着ていたようです。

この写真の森鴎外の銅像は、津和野にある森鴎外記念館の庭にありました。

軍医としての失敗?

日露戦争では、1904年(明治37年)4月8日、鶴田第1師団軍医部長、横井第3師団軍医部長が「麦飯給与の件を森(第2軍)軍医部長に勧めたるも返事なし」との記録が鶴田禎次郎著の「日露戦役従軍日誌」に残されているそうです。

第2軍で脚気発生が最初に報告されたのは6月18日だそうです。大本営陸軍部が決め、勅令(天皇の)によって指示された、戦時兵食「白米6合」を遵守したということです。

軍に入った人たちは、明日の命があるかどうかもわかりません。その状況で、おいしい白米(銀シャリ)を食べさせてあげたいという気持ちもあったようです。その頃は、白米はごちそうでしたから。その当時の庶民は、米はおろか麦飯でもごちそうで、百姓は雑穀を食べていたそうです。

その結果、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡することになりました。兵食に麦飯を導入した海軍は日清、日露両戦争で脚気患者をほとんど出しませんでした。しかし、ビタミンを知らない当時の栄養・臨床医学では脚気と麦飯の関係を正しく説明できなかったそうです。

大正期以降、ビタミンB1(チアミン)をふくまない精米された白米が普及するとともに安価な移入米が増加し、副食を十分にとらなかったため、脚気(かっけ)の患者が多く、死亡者もたくさん出ました。

白米にこだわり続けた森鴎外のせいで、陸軍では脚気が大量に発症し、計算によっては戦死者よりも脚気による病死のほうが多いとも言います。

脚気細菌説をとった森林太郎(森鴎外)

脚気細菌説をとる鴎外・陸軍軍医総監・森林太郎と、脚気栄養説をとる海軍軍医総監・高木兼寛の論争は、この2説がもっとも先鋭的に対立していることから有名で、実際には医学界どころか明治政府全体を二分する勢力の代理戦争という要素が強かったそうです。

陸軍軍医総監・森林太郎は、長州出身、陸軍、ドイツ医学を修め、海軍軍医総監・高木兼寛は、薩摩出身、海軍、イギリス医学を修めていました。

陸軍軍医総監という森鴎外の社会的地位からいえば、華族に列せられてしかるべきでしたが、脚気論争が原因で華族にはなれませんでした。高木の方は、男爵に叙せられました。

鴎外が脚気問題で批判される多くは、筋違いとの見解もあります。この時代の資料をたくさん読んでからでないと批判できないと思います。

舞姫、鴎外の恋人?

2010年11月19日、NHKハイビジョン特集「鴎外の恋人〜百二十年後の真実〜」が放送されました。放送直後、今野勉著「鴎外の恋人」が刊行され、当時15歳のドイツ人女性が単身来日でき、また偽名でも日独間を行き来できる可能性があったこと等を明らかにしたそうです。

鴎外の恋人は、資産のあった仕立物師の娘アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト(Anna Berta Luise Wiegert)(1872年12月16日-1951年)ではないかと言われます。AnnaとLuiseが鴎外の子供達の名(杏奴、類)と一致すること等も指摘されています。

森鴎外の旧宅(津和野)

森鴎外が10歳まで住んでいた家です。森家は、代々津和野藩の御典医をしていたそうです。門を入った所から撮しました。大きな柿の木が左右にありました。家は平屋でそんなに大きくはありませんでした。庭は広かったです。


門を入って左手に大きな石が据えてありました。この「鴎外先生詩碑」がその石です。案内してくれた人の話によると、この石をなでると記憶力がよくなるということでした。

森鴎外は、とても記憶力が良かったそうで、それにあやかって私もこの石に触った後、自分の頭をなででおきました。効果があればいいのですが。

森鴎外記念館(津和野)

森鴎外記念館は、国指定史跡・森鴎外旧宅の南側にあります。建物は鉄筋コンクリート造二階建で現代風なデザインです。

記念館ではマイクロフィルムに収められた約3000点の書簡などが見られます。森鴎外のことは何でもわかるという施設のようです。

バスツアーのために時間がなくて今回は見送りになってしまいました。次回訪れた際にはぜひとも訪れたい所です。

 
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更新日:2016/08/31