津和野

津和野楽天 は山陰の小京都と呼ばれています。津和野は「つわぶきの生い茂る野」から来たそうです。津和野には、約9000年前の早期縄文時代から人々が住んでいたようです。津和野城の城下町として栄えた町です。島根県でも一番南部に属し、山口県に接しています。

津和野城跡

森鴎外旧宅の近くから撮影しました。山の頂上に石垣が見えました。津和野城は、1282年(鎌倉時代)、元寇警備のため能登から石見に入部した地頭職吉見頼行が着任後、津和野城の築城にかかり、1324年、二代吉見頼直の代に約30年をかけて本格的な山城を完成させたそうです。三本松城とも呼ばれています。

津和野城の様子

1600年の関ケ原の戦で西軍が敗退すると、14代吉見広行は主家の毛利氏の萩移封にしたがい津和野城を坂崎出羽守に明け渡し、萩に移りました。

「千姫事件」で有名な坂崎氏は備前宇喜多氏の一族で、在位16年の間に津和野城の大改築、城下町の骨格づくり、新田開発、和紙の原料である楮苗の栽培、灌漑用水路の建設、鯉の養殖など、今日の津和野の礎を築いた名君でした。

鷺舞神事

鷺舞は津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事で、毎年祇園祭りの7月20日、27日に町内11ヶ所の昔から定められた場所で舞われます。

鷺舞は1542年に11代津和野城主、吉見正頼が山口の祇園会から移し入れた芸能神事です。京都の八坂神社祇園会から山口へ津和野へと伝えられた神事です。この写真は鷺舞神事のようすを和紙で表現した物です。

和紙

石州和紙で作った人形です。大きくて約1メートルぐらいはありそうでした。1つが2100円と書いてありました。他にも千代紙で作られた小引き出しや小物などがたくさん置いてありました。

かわいい模様の千代紙が、着物を華やかにしています。日本独特の千代紙を大事にしていきたいものです。

「石州そば」と「うずめ飯」

うずめ飯は、ごはんの中に具が埋められていることから名付けられたようです。具は、にんじん、干ししいたけ、豆腐、かまぼこ、せり、海苔、根わさびを上に乗せます。ふいのお客にもちゃちゃっと出来て便利だとか。

石州そばは、地元のそばらしく味が濃いように感じました。これからは寒い時期なので、温かいそばがいいように思いました。津和野の郷土料理でした。

その他の津和野の見所

乙女峠マリア聖堂
マリア聖堂は、キリシタン殉教の地である乙女峠に建つ聖堂です。(昭和26年建)キリスト教が厳禁だった明治元年、長崎から送られてきた153人の隠れキリシタンは、津和野藩の改宗のすすめに応じず、拷問によって36人が殉教しました。その際、日本で唯一、聖母マリアが降臨されたと言われています。ステンドグラスにはその悲しい様子が描かれています。私がここを訪れたのは、30年前のことです。ひっそりとした地にある小さな聖堂が、殉教者の無念を超えた感情を偲ぶのに最高の場所だと思いました。
森鴎外旧宅
森鴎外については、別ページを作りましたので、お読みください。森鴎外は、小説家と陸軍軍医の二足のわらじをはいて活躍していました。
西周旧居
哲学のパイオニア、西周(にしあまね)の生家。西周は、徳川幕府の学者としてオランダへ留学しました。オランダのライデン大学のフィッセリング教授から、オランダ語、法学、統計学、国際法を学びました。この成果は、明治初年までの他の留学と比較しても、質量とも群を抜いているそうです。詳しくは大久保健晴(たけはる・38)さん著の「近代日本の政治構想とオランダ」東京大学出版会を読んでください。西周は、「哲学」「理性」などの訳語を創出したことはよく知られています。

島根の安来節と岩見神楽

 

安来節(やすぎぶし)に合わせて踊る伝統的な民俗舞踊「どじょうすくい」は、代表的な御座敷芸です。安来節は、島根県安来地方の民謡です。おじさんの格好と踊りがユーモラスで、お客さんの笑いを誘います。

石見神楽は、石見地方で室町時代後期から演じられているものです。国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 
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更新日:2016/09/02