うつ病2・自殺との関係

現在100万人の人がうつ病で悩んでいるそうです。自殺者の93%がうつ病に罹っていたそうです。また、80%の人がアルコール依存症であったようです。

2011年2月現在、12年連続で毎年3万人以上の方が、自殺で亡くなられています。日本の自殺の増加とその背景などを考慮し、うつ病について早期に対策がとられることを望みます。

うつ病100万人、軽症者の受診が増加

2008年の調査では、うつ病の患者が初めて100万人を超えたそうです。長引く不況、新しい抗うつ薬の登場も患者増につながっているとの指摘もあります。

働き盛りの30歳代後半から40歳代が最も多く、女性が男性の1.7倍だったそうです。10年足らずで、約2.4倍に増えたのは、啓発が進み軽症者の受診が増えたと言います。

患者の増加は、新タイプの抗うつ薬が国内で相次いで発売された時期と重なるそうです。「軽症のうつは自然に治るものも多く、最初から抗うつ薬を使うのは欧米では現在懐疑的な見方が多いようです。

日本では、うつ病楽天 を早く発見して薬を飲めば治るという流れが続き、本来必要でない人まで薬物治療を受けている面があるのではないか」と指摘している医師もいます。

自殺とうつ病の関係

自殺者の93%がうつ病に罹っていたそうです。また、80%の人がアルコール依存症であったようです。精神科の治療を受けていなかった人が多いそうです。

日本の自殺の増加とその背景

日本の完全失業率の増加と自殺者の増加とのグラフでの一致が、1998年辺りから見られるそうです。年間約3万人が自殺に追いやられているのです。自殺者年間3万人が、ここ10年続いているという異常事態があります。何か根本的な対策が早く講じられないといけません。

仕事もない、人間の繋がりもないという状況の中で、死ぬ方向しか考えられなくなるようです。自殺者の10倍以上は、自殺願望者がいると言われています。下記のことを参考に具体的な対策をお願いしたいです。

3月に自殺が多い
統計では3月は、1日に91人が自殺で亡くなっていて、年間でも一番多いそうです。3〜4月の春は気分が不安定になりやすいそうで、有職者が4割を占めています。サラリーマンが928人、自営業者が334人で決算期と関係があると見られています。自営業者では、税金を収める時期で、消費税は赤字でも納めなくてはなりません。また、月曜日が多いことも分かっています。
主婦が意外に多い
女性の方がうつ病になりやすいことがあります。それに、主婦は悩みを抱えやすいようです。また、嫁姑問題も原因となります。
連鎖する
ニュースで自殺の報道がされると、影響を受けて自殺が増えるそうです。いじめによる中学生の自殺、一家5人無理心中、現職閣僚自殺などは、特に連鎖をうみました。自殺報道は、センセーショナルに扱わないことが必要です。メディアは、せめて自殺したいと悩んでいる人のために、支援先や相談先などを知らせてもらいたいものです。
地域の課題
県外から流入した自殺者が多い地域があります。山梨県、東京都、静岡県、兵庫県、和歌山県の順になります。富士山の樹海が影響しているそうです。東尋坊では、冬の日本海よりも、暖かくなった時の方が多いそうです。新年度の晴れがましい時期に、自分だけ落ち込んでいるという格差を感じるようです。

東京都足立区では、徴収嘱託員の方に多重債務などで苦しんでいる人を探し、相談窓口につなげるようにお願いしているようです。実務としては、なかなか難しい面もあると思いますが、人の命がかかわることなので、おかしいと思ったら民生委員などの福祉の方へつなげれたらいいのではと思いました

40歳代男性の場合

残業で睡眠時間が無い状況でした。会社からは、「気楽に考えろ」「酒を飲めば治る」などと言われた。心の内を理解してもらえなかった。

20歳代女性の場合

「死んじゃあいけない」「なぜ、教室へ入ってこれないの?」という答えや質問が多かった。自分の気持ちを一度受容して欲しかった。

30歳代女性の場合

頭ごなしに「自殺はよくない」と言って欲しくない。とりあえず、気持ちを聞いて一緒に悩んで欲しい。

日本社会は、今経済状況も悪く、ゆとりのない状態になっていると思います。弱さを出す、遠回りする、人の話を聞くということができにくくなっています。

こういうゆとりのない社会に耐えられない人が出てくるのは当たり前で、そこを支えていく人が必要だと言われています。

社会的なシステムで、夜でもいつでも気軽に悩みを相談できるようにすることが大切です。

青森県弘前市、農業の人11人自殺

りんご農家の70歳の人が自殺を図り、入院。りんごを作っても作っても、お金にならないので、うつ病になりました。

農家の人が、自殺しているとは、みんな知らず、エアーポケットだったそうです。3年前に遺族から聞き取り調査したら、借金が2000万円もあり、追い詰められて自殺しているようです。また、4つ以上の問題が連鎖して自殺していることもわかったそうです。

自営業者は、事業不振、多重債務や看病疲れ、生活苦などでうつ病を発症し、自殺に追い込まれることが多いようです。

企業勤めの人は、職場の配置転換から、過労になり、うつ病を発症し、仕事の悩みが加わって自殺へと進んでしまう人もいます。

また、家族と同居している高齢者の自殺もあります。

都市部などでは、ひきこもりの若い世代が、将来を悲観して自殺することもあります。ニートが集まる図書館などを廻って、リスクのあるターゲットをしぼっていく、出向いて言っている、NPO法人主催の会などもあります。保健師と弁護士との相談会なども行われています。

うつ病になる前に何か対策を取らないと、ダメのようです。共通のパターンを知り、きめ細かな対応をしていくとよいようです。

他人ごとではない、身近な問題である。少なくても自分にできることは何かを考えなくてはなりません。

自殺者を減らした、フィンランドの取り組み

かかりつけ医の質の向上
うつ病の人は、まず体調の不調を訴え、かかりつけ医を訪れる患者が多いからです。うつ病の早期発見が大切です。かかりつけ医は、精神科医の講義を受けたり、インターネットでの勉強をしたりして、精神科の知識を増やしています。また、精神科医との連携をとり、薬の投与などの指導を受けています。
うつ専門の看護師の活躍
うつ専門の看護師になるには、看護師資格を持ち、後2年間の学習が必要です。地域の看護師からの連絡を受けて、家庭訪問をしうつの早期発見をしてかかりつけ医へ繋げます。また、忙しいかかりつけ医に代わってうつ病の人のケアの継続をします。うつ病の人と会って触れることが大切です。

自殺ということへの偏見を失くすために、フィンランドでは、黒いリボン運動が行われています。網へ黒いリボンを結んでいきます。自殺者の家族や道行く人たちにも結んでもらって、悲しみを共有し、誰でもちょっとしたことでうつ病になり、自殺することもあり得ることを知って欲しいからです。

また、自殺者の60%は、仕事についていなかったそうです。今日本でも雇用問題が深刻な状態です。職に就くための職業訓練など充実して欲しいと思います。

うつ病のきっかけ・南木佳士さんの場合

小説家・医師の南木佳士さんは、1951年生まれです。この度テレビで、南木さんがうつ病を患っておられたと知り驚きました。南木さんの場合は何がきっかけになったのかと思いました。

南木佳士さんは、1988年に「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞を受賞されました。医師としても第一線で大変な勤務をしながら、小説も書いておられたそうです。「芥川賞を取ったからには、質の高い小説を書きたい」「医師としての勤務も絶対に休まないようにしよう」と、頑張られたのでした。

翌年に38歳でうつ病を発症し、何も手につかなくなったそうです。そして、2年半全く読めない、全く書けないという状態に陥ったそうです。


南木佳士さんが、2003年に書き上げられた「家族」です。お父さんをモデルに小説として書かれています。

南木佳士さんは、3歳の時に実母を病気で亡くされ、母方の祖母に育てられました。お父さんは婿養子として家に入られましたが、連れ合いを亡くされ、後には再婚されました。中学生になってから父親の住む東京へ出て一緒に暮らしました。

この「家族」は、お父さんへの鎮魂小説だと南木佳士さんが言われています。

家族それぞれの立場における気持ちを赤裸々に、細やかに表現されていると思いました。家族を介護されている方などに読んでいただきたいと思います。

南木佳士さん略歴
1951年、群馬県吾妻郡嬬恋村生れ。秋田大学医学部卒業。長野県在住。作家で医師。1981年、内科医として難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴く。同地で「破水」の第53回文學界新人賞受賞を知る。1989年、「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞受賞。2008年、「草すべり その他の短編」で第36回泉鏡花賞受賞。

うつ病時の行動・気持ち

うつ病を発症した時は、表情がなくなり、能面の顔になったそうです。また、自分が自動機械に近いものになり、出刃包丁に手をかけたこともあったそうです。その時の気持ちは、「つらい状況の私は、消えてなくなるのが、楽だよなあ」と思い、目に見えないものから背中を押されている感じだそうです。

医師という仕事がら、みとりの世界に慣れていて、師に対するおびえがあり、自分は死にたくないという思いが強かったと言われています。

何もできなくて、自宅療養1ヶ月、また1ヶ月、病院で2時間をすごし家へ帰り、昼寝もできない、夜は寝られないという苦しい状態が続いたそうです。

医者も続けられないと、小学校低学年の子ども達をどうやって養っていけばいいのかと悩んで、その頃のことはよく思い出せないそうです。

3年経って小説を書き始めたそうです。パニック障害を病んだ妻を連れて帰郷した夫と、阿弥陀堂を守る老女との交流を描いた「阿弥陀堂だより」という小説で、2002年には映画化されました。

うつ病回復への糸口

医師という仕事を第一線でバリバリやっていたが、できなくなった自分に納得がいかないけれど、あきらめました。あきらめるということは、物事を明らかに見て取るということで、2〜3年病んで元に戻れないと思った辺りから、気が楽になったと言われていました。

また、「阿弥陀堂だより」という小説は、老女がでてきますが、南木佳士さんのおばあさんがモデルでもあるようです。南木さんは、2歳半の時に母親を肺結核で亡くされ、おばあさんに育てられたそうです。そして、小説も上州にいた子どもの頃から出発されました。

医師としては、人間ドックの診察だけをすることにして、生きなおさざるを得なくなりました。

今の状況

奥様と一緒に山登りをされています。日曜日に山登りをすると月曜日は気分良く働けるそうです。身体を動かすことは、気分をよくします。山登りは、下りる時に景色や花が見えます。身体の力をうまく抜いて下りていきます。と、言われます。

「40前後の経験は本当にきつかったから、あれ以上のことは無い」と思えるそうです。そして、「なるようにしかならない」とも思えるようになったそうです。

現代社会の煩雑さ、景気低迷の状況から、ますますうつ病は増えていくと思います。南木佳士さんは、医師である立場から自分の病気もオープンにされて、世の人々にうつ病の様子を教えてくださいました。俳優の人もたくさんうつ病に罹られて、そのことをオープンにされています。いろんな方の経験は、うつ病で悩んでいる人の心の味方になると思います。

今後南木さんの小説を読む時に、頑張って書いておられる姿を想像しながら読みたいと思います。 

NHKの「ようこそ先輩」へ出演

南木さんの故郷、群馬県嬬恋村を見下ろすようにそびえたつのが浅間山です。授業では浅間に登り、その体験を自分にしか書けない文章に表わしてみようと子どもたちを浅間登山に誘いました。

小さなころから身近にある浅間山だが、50歳になるまで南木さん自身登ったことがなかったそうです。しかし実際登ってその実感を言葉に置き換えて書くと、生きているという実感、そしてそれを感じる自分とは何かが、くっきりと浮かび上がってきたそうです。

芥川賞を受賞し、医師としても一線を走っていた頃、うつ病を発症した南木さん。長く苦しい闘病生活を経て、山に登り始めました。山に登るとお腹がすき、おにぎりを食べる、人間て単純なものなんだと感じたそうです。

 子どもたちは南木さんと一緒に浅間山に登り、鳥の声や風の音、針葉樹の匂い、深い緑や前掛山の巨大な山体、そして、頂上で食べるおにぎりのうまさなど、からだ全体で浅間山を感じました。

からだは一人ひとり違うもの。個性はわざと出そうとしたりしなくても、体の中に刻まれているのだ、と南木さんは言います。

キキョウの花
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更新日:2016/08/25